初日は1部と2部に別れ、第1部は、伝統文化「鎧象嵌」の技と匠を継承して人間国宝となられた中川衛氏による講演を筆頭に、万年筆業界のお歴々のお言葉がありました。第2部は、となりのスターホールに場を移し、近海の珍味が並ぶレセプションという設定であった。第1部、第2部、いずれも興味をひかれる貴重なお話がありましたのでここにその一部を紹介しておきましょう。
第1部は、3棟ある建物の中では一番新しいポプラ館で行われました。引き続き福島一康氏の進行のもと、人間国宝の中川衛氏の講演で始まりました。中川氏は「鎧象嵌」の世界では第一人者であり、50代という異例の若さで人間国宝に推挙された人であります。現在、「鎧象嵌」は存亡の危機にあり、中川氏なくしては「鎧象嵌」の伝承が途絶えてしまうということだそうです。 いわば日本古来の伝統文化がまた一つ消滅してしまう危機であり、文化庁が、その伝統文化の滅亡を憂慮し、中川氏を人間国宝に推挙したのは賢明で至極当然のことである。その意味で、これからの中川氏の作家活動は、一作家としてのみならず、将来に向けての「鎧象嵌」の技術伝承という重要お仕事も担っておられ、文字通り、日本の、そして我々の宝なのであります。日本古来の伝統である、金属に様々な異なる金属を埋め込んでそこに美を創造していく「象嵌」。その「象嵌」というものが、そもそもどういうものなのか、ということから始まり、鐙(あぶみ:武具)や刀にまで引例され、詳しく、分かりやすくお話された。 今日では、この象嵌の技術を駆使して作品を造っている作家は少ないそうである。中でも、鎧のように何重にも象嵌を重ねていく「鎧象嵌」においては、特に難しい技術、長年の鍛錬、そして、機械では測れない勘が要求されることから、それを昔ながらの工程を踏み造形作品を造ることのできる人は、おそらく、中川氏をおいて他にはいないであろうということであった。会場では、中川氏の象嵌の作品を実際に手にとって見ながらお話を聞くことができ、大変貴重な体験であった。いずれ象嵌を施した万年筆もでるとかでないとか、巷ではささやかれてはいますがどうなのでしょうか。
セーラー万年筆社長の碓井初秋氏のお話も頼もしかった。「我々セーラーは、これまで様々な形で業界の発展、底上げに努力してきた。長原・川口のペンクリニックもその一環で、日本に存在するであろう億単位の万年筆の内、これまでにこの二人で約10数万本の万年筆をクリニックで面倒をみてきた。これからもあらゆる手法で、できる限り業界を支えていきたい」と、強い口調で述べられたのは、日本の最古参万年筆メーカーのひとつであるセーラーが、これからも引き続き業界の発展のために貢献していきたいという強い決意の表われでもあったように思う。 川口氏も、「これまでに、全国いたるところで万年筆クリニックを開き、約10万本の万年筆の整備に当たってきました。これからも自分の身体が健康である限りこのクリニックを続けていきたい」とその強い決意を述べられた。
最近、怪奇な(?)万年筆を作っているということで、つとにその存在が知られつつある鎌田裕雄さんですが、その鎌田さんが、自慢の万華鏡とさそりのペンが付いた「ステンドグラス万年筆」、「屋久杉軸、般若万年筆」と「象牙の羽根ペン」の3本を持参しお披露目した。そして、これらの万年筆を作ったいきさつや苦労話などを熱く語った。様々な面白い素材を見つけては自分で構想を練り、そして、それを作ってくれるところへ持ち込む。値段は、「いくらになります」と言われれば、それで、一切お任せというから恐ろしい。万年筆の世界広しといえども、鎌田さんのように、世界に2つとない独自の万年筆を、おしがいもなく大金を費やして創りあげて楽しんでいる人も珍しい。マニアとは狂人という意味もあるようだが、彼のような万年筆愛好家をマニアというのか? いずれにしても、「書くための道具」というよりは、「鑑賞する万年筆」なのであろう。まさにこれが「鎌田ワールド」ということか。
北ペン倶楽部、東京支部事務局長の稲垣太郎さんは「東京会」の近況報告をされた。「東京会の中には著名な方も会員として名を列ねておられ、少しづつではありますが人数も増えてきております、これから先が楽しみです」と。 東京会は、ほぼ隔月に一度集まりを持っています。 万年筆を持参で銀座ライオンに集まり、食事をしながら万年筆談義を楽しんでいます。万年筆の好きな方なら誰でも参加できます。詳細は「北ペン倶楽部・東京会事務局」に直接たずねてください。
松岡英輔氏の「万年筆文化を広めよう」というお話も共感するところが多々あり、文化庁の人にも聞かせたいほどであった。「まだまだ万年筆を使っている人は少ない。ひと昔前までは結構大勢の人たちが使っていたGペンや、ペン習字なども近頃では全く見かけなくなった、嘆かわしい」と。 そして、「これから万年筆文化を広めるためには、我々が何かをしていかなくてはいけない。たとえば、ペン習字も学校で採りいれてもらうよう働きかける。また、日本には無用となった万年筆がわんさとあるはずである。それらの万年筆を供出してもらい、今度はそれを、万年筆を使ってみたいという人たちに提供していく。提供された人たちはその万年筆を受け取る条件として、必ず、その万年筆で書いたお礼の書信を提供者に返す」というようなこともやってはどうかと具体的な案も出た。 と、まあざっとこのような、非常に内容の濃い、そして貴重なお話ばかりで、出席した我々も「うん、うん」と共感、感激の連続であった。 感激のさめやらぬ内に、舞台は第2部の宴席の行われる「スターホール」へと移った。
第2部のレセプション会場の「スターホール」は、ビール博物館のある建物で外観がとても素晴らしい。我々を待っていたのは、というより、我々が待っていたというべきか、宴席には、北海道ならではの近海の珍味が山のように並んでいた。筆頭のスピーチは、日本に、そして、蒔絵に憧れて北海道の美瑛に住むことになったというカナダ人万年筆コレクターのスティーブン・オーヴァバリー氏。面白かったのは、ハワイに住むある人が、ガレージセールでわずか数十ドル(数千円)で蒔絵万年筆を買った。その蒔絵万年筆を、地元の万年筆コレクターが「ン十万円」で買い取り、あるオークションに出したら、なんと、それが「ン万ドル」になったという夢のような話。通訳の方が正確に訳されなかったのですが、本当の価格はここでは伏せておくことにしておきましょう。
我輩はと言えば、何の予告もなく、いきなり乾杯の音頭を任され至極簡単に音頭をとり、皆さんもやっとのことでビールにたどり着き、めでたく乾杯。それーってんで、みんな一斉に「腹が減っては戦はできぬ」とばかり、皿を持ち、タラバ蟹、刺身、寿司、スモークサーモン、etc.、エトセトラ、と腹ごしらえと相成りました。蟹を食べる時って皆さん同じですね、話す口が止まり、皆さん黙々と食べておられました。勿論、私もたくさん頂きました。
おなかが落ち着いたところで、様々な懸賞品の発表。この日一番の高額品を当てたのは、名古屋から来た金本さん。なんと、15万円もする柘植製作所提供のブライアー万年筆でありました。もうすでに1本所有しておられるというから今回の商品は奥様のものになるんでしょうな。 その後は、北ペン倶楽部会長の林克郎さん、田中暁男さんのお話、等々と続く中、みんな持参した「それぞれの1本」を見せ合いながら熱い熱い語り合いが続く楽しい時間でありました。 楽しかったー。 ところで、宴が終わった後に、タラバ蟹がまだウンザリするほど余っていたけど、あれ、どーしたのかなあ。 「モッタイナイ!!!」
2日目が定山渓温泉での懇親会が組まれておりましたが、私は、どうしてもはずせぬ仕事があったため、初日のみの参加で失礼した。 北ペン倶楽部の林会長のお話では、2日目の定山渓温泉での懇親会には28名が出席されたとのことでした。天候も良く、紅葉の始まりもちらほら見ることができ、とても綺麗だったようです。 宿に着いてからは、まず温泉に入り、ゆかたに1本を差して集まったとか。 温泉あり、美味しい食べ物あり、万年筆あり、2次会、3次会と盛り上がったとのことでした。 行きたかったぁー。私としても、温泉に行けなかったのが一番の心残りでした。
かくして、第1回の「'05万年筆サミット・イン・札幌」は、大変な盛り上がりの中に行われ、めでたく無事終了と相成りました。 文化的行事とあり、地元の北海道新聞、UHBテレビ(夕方のスーパーニュース)、STVラジオ(ライブ)などでも大きく扱われ、その反響も大きかったと聞いております。素晴らしいペンサミットでした。これだけの催事をまとめ上げるには大変なご苦労があったと思います。関係者の皆様、ほんとうにご苦労様でした。今後、第2回、第3回と続けていき、そして、それが万年筆文化の広がりにつながっていけばいいですね。楽しい時間をありがとうございました。また、皆様とお会いできる日を楽しみにしております。 (藤井)
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